後期高齢者医療制度はすぐに廃止せよ〜!!
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歴史散歩に参加して
九班 五十嵐光範
2月22日の春の歴史散歩に初めて参加しました。
新越谷に集まり品川に向かったのは18人、少し寒かったのですが歩く時に
はちょうど良いとの事です。
品川でJRを降り10分ほど歩くと何と踏み切り(京浜急行)があり、それを
超えるとギリギリ二車線の旧東海道の道だという事でした。
この道沿いに東海道五十三次品川宿という名前があちこちに見受けられ、
この地域がこの名前で町起こしをしているのが良くわかりました。
加川さんの案内で本陣跡を見た後、品川神社、東海寺、海蔵寺、妙蓮寺、
品川寺、海雲寺、天妙国寺等の神社寺院を訪ね歩き、最後にNHKの大河 ドラマの竜馬がゆくにでてくる山内容堂の墓を見ました(こんなところに
あったんですね)。
一人ではここまで周ることはできません。事前に下見をしていただいた
準備の賜だと感じました。いっしょに行動させていただき、顔を覚える事も
できましたし、会話もさせていただき楽しい1日を過ごせました。
五班 橋井 勝
前から案内を見て是非参加したいと思っていましたが、今回初めて参加で
きました。前から歴史が好きで去年、中仙道から山陽道を車で走りました。 今度の歴史散歩は東海道の一番の宿場であり品川を歩くとの事、興味を そそられます。
わくわくしながら集合30分前に新越谷駅ホームに到着。
今日は何人の参加なのだろうか、知ってる人はいるだろうか、どきどき
しながら9時を待ちましたが、何人かの顔を見て安心しました。
品川駅に着きいよいよ歩き始めました。まずは道幅も昔と変わらない道を
進み、加川さんの名案内で本陣跡から順次見て歩きました。
さすがに古いお寺が多く、名前の知れた人のお墓が多い。特に大名家の
お墓には何代もの奥方の墓石があり、江戸時代の入り鉄砲に出女は厳しく 取り締まりにあって、大名の奥方は江戸から終生、とつぎ先の大名家の
故郷には帰れなかったそうです。
又、品川神社の境内に自由民権運動の指導者、板垣退助の一族の墓が
あるのには驚きました。
最後に回った小高い丘の上に土佐藩主の山之内容堂の墓がありました。
そこからすぐのレストランで反省会を開き、思い思いを語り解散となり
ました。本当に楽しい一日でした。
九班 坂本政明
平成22年2月22日、双子の日に東海道一番目の宿場、品川宿を歩き
ました。
品川宿は東海道の江戸の玄関口です。
旅人の見送りや出迎えの人で当時はたいへん賑わったそうです。
また、旅籠には多くの遊女、飯盛女を抱え、吉原に次ぐ遊里として繁盛して
いたようです。往時を偲びながら旧品川宿の神社仏閣を見て回りました。
旧東海道北品川は、現在、道路整備中です。
歴史が見直されている中で、今多くの自治体では旧街道を整備し、観光客
誘致や商業振興に懸命です。歴史ファンにとってはトイレや案内マップ等が 設置されるのでうれしいことです。
品川本陣跡は今は遺跡碑が立っているのみで、何の変哲もない公園で
す。隣の保育園児の遊び場でしたが、明治天皇が江戸入りした時、宿泊
しており、聖跡公園の名が付けられました。
品川神社は源頼朝が安房洲崎大明神を勧請したのが起こりという北品川
の総鎮守です。境内に富士山の遥拝所として富士塚が築かれております。 高台にあるので当時は海の見晴らしが良かったのではないかと
思われます。
東海寺は三代将軍家光が沢庵禅師を請じて建立した4万7千坪の広大
な敷地であった臨済宗の大寺院です。今は別な敷地となってしまった墓地 に沢庵禅師の墓がありました。自然石の大きな漬物石(?)を重ねた簡素な お墓です。無欲な人柄が偲ばれます。
清光院には豊前中津藩奥平家の墓があります。大きな五輪塔を中心に
墓石が立並び、典型的な大名墓で、当時の権力が読み取れます。
沢庵禅師の墓とつい比較してしまいました。
海蔵寺は時宗のお墓です。品川宿の投込み寺と言われ、遊女や鈴ヶ森
刑死者をこの寺に葬っています。品川宿の一面を見せられました。
品川寺には地蔵菩薩像が安置されており、江戸六地蔵の一つです。
また洋行帰りの鐘といわれるパリ万博に出展後、一時行方不明となった鐘
があります。
今回、品川宿を歩き、江戸の町はいかに広大な寺社敷地であったかが判り
ました。今は縮小されたとはいえ町なかに寺社が点在しています。緑地、 空間地としての機能を保って品川宿を見守ってほしいと思いました。
歩き終わって京急鮫洲駅隣のファミレスでビール、ぜんざいでカンパイ。
お疲れ様、良い一日でした。いつも説明して下さる加川さんありがとう
ございました。
品川寺の梵鐘は民間外交の証 九班 樋口 昭男
「品川宿を歩く歴史散歩」で私が一番印象に残ったのは品川寺の梵鐘で
した。加川さんのご説明で「この鐘はパリ万博に出展された。」ということが 気になり、インターネットでこのお寺のホームページを開いてみました。
そこにはこの鐘の由来として概略、次のように書かれていたのです。
「この鐘は約三百五十年前に鋳造されたものだが、何かの理由で江戸
末期に海外に搬出され行方不明になっていました。
大正時代に地元の古老からその話を聞いたこの寺の和尚さんが色々と
調べた結果、明治の初期にパリ万博やウィーン万博に出展された後、
スイスのジュネーブにある美術館にあることが解りました。
この和尚さんが苦労してあちこちに返還の願いを出し、やっとジュネーブ市
議会の議決を経て昭和の初期に贈還され、当時の品川町民総出で歓迎し ました。その後、後継の和尚さんがその返還の感謝の証として新しい梵鐘 を鋳造して平成三年にジュネーブ市に贈ると共に品川区との友好都市関 係が締結されました。」とのこと。
この間に政府のお偉方とのからみもあるけれど、和尚さん達とジュネーブ
市民との友好的な交流が基にあったのだと思い、民間外交の大切さを感じ た
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