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東海道"品川宿"を歩く





加川さんのご説明をみんなで真剣に聞きました。
「ここが江戸時代には東海道の初めの宿場でして…。」
「へー、ここが江戸時代にはそんなに賑わっていたのか…。」


街角にこんな道標が立っていました。


なーんだ、正確なことは判っていないのかぁー。


ペリーが来た時には江戸中が大騒ぎだったってねぇー。



当時はたくさんの遊女もいたんだってねぇー。



品川区も「品川百景」に指定して、だいぶこの辺りを重要視しているんだなぁー。


この商店街にはこんな立て看板がたくさんありました。


ここはどこでしたっけ…↓  加川さん教えて…。


カメラマンの伊東さんは、こういう看板を一枚一枚、まじめに全部写真に
撮ってくれました。


明治天皇が泊まったところなんで、「聖跡」なんだって。



ここでも詳しいご説明。  近くで保育園児が遊んでいました

一人だけよそ見しているんではないです。 耳はちゃんと聞いていますよ。



品川神社だけだと思っていたら、ほかのお稲荷さんなどが"同居"
していました。


この階段を上んなくちゃーいけないの。 ヒェー大変だ。


しょうがないので一生懸命、階段を上りだしました


ふぅー。やっと境内に着きました。 あっ。ここにも富士山があったぞー。


確か板垣退助って明治時代の偉い人だったっけなぁー。
 一生懸命説明を…。 ウソです。写真で今、読みました。



鉄道のガード下にこんな説明板が立っていました。 ↓
こんなところにガラス工場があったのかぁー。
それにしても東海寺ってとても広い境内を持っていたんだなぁー。



お墓は本当に"沢庵石"みたいで、この人はとても素朴な性格だったようです。


この公園でお昼のお弁当を食べました。
どういう訳か、恐竜の前で記念撮影。
おーい、旗が裏返しだぞー。


ここには昔の偉い殿様のお墓があるんだってさぁー。




入口の石の門がとても立派でいかにも大殿様っていう感じ。


ここは大妙国寺です。↓   (大妙国寺と品川寺の山門は似ています。)


"桃中軒雲右衛門"って名前だけは聞いたことがあるようなのだけれど、
誰だっけ…。 まあ、そういう人は下記の説明をちゃんと読んでください。



バックのしだれ桜(?)が咲いたころにまた来てみたい…。

ここは品川寺です。↓
ここは「しながわでら」ではなく、「ほんせんじ」って読むんだって。
ここの梵鐘は昔パリの万博にも出展され、ご住職がいろいろ苦労して
やっとこのお寺に戻ってきたそうです。
そのいきさつは語るも涙の物語です。詳しくは、↓このホームページを…。
http://www.evam.ne.jp/honsenji/bonsyou.html 
読んでみると、これこそ民間外交だと感動しました。


ここの力石…誰かが試しに持ち上げようとしたけれど…。
「全然持ち上がらないよ。 これってセメントで固定しているんじゃない
 のかなぁー。」


昔は火事になったら大変なことになってしまうからなぁー。


「山之内一豊」じゃないんだよね。
歴史に強い人はよく知っているのかも…。
詳しく知りたい人は下記をじっくり読んでください。


この日は一日で何キロ歩いたのかなぁー。
お疲れ様でした。 みんな揃って鮫洲の駅近くのレストランで
一回目のお疲れさん会。
その後は各自で自主的に反省会などをやりました。
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